上の表をご覧いただきたい。
この表は、今から90年前の昭和元年から平成18年までの年間殺人事件数の推移を2年ごとに
現したグラフである。
さすがに第二次世界大戦下では、極端に減少しているがこの数年を除くとほぼ右肩下がりにゆ
っくりと減少傾向にあることが一目瞭然でお分かりいただける。
正に世界有数の安全安心な国としての面目躍如たる所以だろう。
しかし、相変わらず殺人事件は少ないながらも、1日もニュースで報じられない日はないの
が現実ではないだろうか?
中でも家族間の殺人事件が確実に増えている事がなんとも不気味なのだ。
殺人事件の半分が親の子殺しか心中
さて、表題をご覧になって背筋がゾクっとした人が少なくないと思われるのだが、上記表でも
お話しした通り、法務省が作成している『犯罪白書』には、日本国内で発生したあらゆる犯罪
(解決、未解決を含めた、県別のランキングや件数、人数など)の統計データが記載されて
いる。
ちなみに、「私、殺されそうになりました!」と言って交番に駆け込んだとすると、たったそ
れだけで殺人未遂としてカウントされてしまう事があると言うからむやみに交番に駆け込まな
い方が良いかもしれない。
そんな御仁はおられないだろうが・・・・
さて話を戻すが、その『犯罪白書』によれば、日本の殺人事件の件数は、毎年約1400件前後で
推移しているようだ。
しかし、表題の通りその噂が実際に本当だとしたら、その1400件の半分つまり700件余りが家
族間のなにがしかの理由での殺人事件に該当する事になる。
親の小さな子供への過剰な虐待による殺人や親のエゴによる道連れ心中などの身内の問題によ
る事件だと言う事になるわけだ。
殺人事件の大半が、ドラマの様な怨恨や金目当ての強盗殺人ばかりかと思っていただけにかな
りショックではないか?
これからは子殺しや虐待死を扱ったドラマが増えるかもしれないなんて考えると、世も末だと
かなり悲観してしまう。
私も家族をもっと大事にしていかねば、そのうちに子供に虐待されてしまうかもしれない。汗
この数字については、ノンフィクション作家の日垣隆さんが著書のなかで示してるものなのだ
が、日垣さんは法務省にも確認済みだそう。
さすがに親が子供を虐待して殺人事件まで発展する事は、稀なケースと思うががほとんどは、
障害事件として済んでいるようだ。
多少は安心した感もあるが当然といえば当然であり、いくら憎い我が子と言えども他人の子供
を虐待するわけではないだろうから、殺してしまうなんて事はそう多くはないと思うのが当た
り前だろう。
記憶に残る子殺し事件は、未熟な若いカップルでしかも親のどちらかが離婚後内縁関係の他人
であって、二人が子供そっちのけで遊びたいが為に虐待してしまったり、炎天下の車中にほっ
たらかして殺してしまうというような、エゴ丸出しの事件が多い気がする。
では、ほとんどが虐待でないとすれば、間引きが行われている事になる。
間引きとはとうの昔に死語になった言葉だと思っていたのだが、現在でも親が生活水準を
維持するために、やむなく子供を殺してしまうことをいうのだ。
そして、心中は子供の意思をそっちのけで親の間違った考えと共に子供を道ずれにして自ら
が命を絶つことだ。
細かく言うと、親が心中になり、子供は意に反して殺されることからいわゆる無理心中という
事になる。
これは、世界中から不思議な感覚でとらえられているようだが、世界中に同等の事件が全く無
いかといえば、確かにそんなことはなくやはりある訳だが、心中とか無理心中という概念や言
葉がなくて「相手(子供)を殺して、犯人(親)は自殺した」として処理されるようなのだ。
心中とか無理心中は日本独特の言葉のようだが、ちなみに韓国にも無理心中に似た言葉がある
らしく同じ四文字熟語になるようで「同伴自殺(トンバンチャサル)」と言うのだそうだ。
どうでもよいが、「同伴自殺」と漢字から推察すると同意しての殺しというような感じから
「無理心中」よりは「心中」を意味するように思えるが、どうでも良いか?
さて、親が子供と共に自殺をする「心中」であったとしも、立派な殺人としてカウントさ
れることになるから悲しい気持ちになってしまう。
また、殺人事件の認知件数には、殺人未遂事件も含まれるというから、実際に殺しとして犯行
に及んだ件数は、先に挙げた1400件という件数よりも実際にはかなり少ない事になる。
ちなみに認知件数とは、警察などの捜査機関が犯罪の発生が認知された件数の事を言うから、
認知件数と実際の発生した件数とは一致しない事が多く、その差を暗数と言うのだそうだ。
しかし、なんだかんだと言っても、全殺人件数の半分以上が子殺しである事には変わりはない
のだが、間引き殺しなどと言う貧困が原因でやむなく我が子を手にかけた昔ならいざ知らず、
今のような現代にもそんな悲しい事が多く発生しているなんて、なんとも悲しくなってしまう
のは、私だけではないだろう・・・合掌