超古代からの挑戦状!2~縄文仮面男の謎~

今から遡ること1万6千年前から一万年以上続いた、いわば超古代に世界に類を見ない縄文時代

が日本にはあった。

今年2016年3月26日、北海道新幹線で注目を集める北海道で日本人のルーツを物語る意外な

発見が相次いでいる。

NHK BSプレミアム 12月9日(金)超古代からの挑戦状!2「行き倒れ”縄文・仮面”の謎”と

題した番組が放映された。

この謎の仮面をおって物語は、展開してゆく。

土器、土偶そしてこの仮面。

誰がなんのために作ったのか?

残されていたのは、仮面が墓標にくくりつけられていたと思われる痕跡であった。

何のためにこの仮面が作られたのか?

国宝の土偶と謎の仮面を探るため北海道へと向かった。

土偶の謎を探る


引用:NHK BSプレミアム (以下同様)
超古代からの挑戦状!2「行き倒れ“縄文・仮面男”の謎」

縄文時代に北海道と北東北には、津軽海峡を挟んで同じ文化が花開いていた。

中でも北海道は、7000か所にも及ぶ遺跡数を誇る縄文ワールドが存在していた。

函館市南茅部町の道の駅”縄文ロマン南かやべ”(函館市縄文文化交流センター)は、全国唯一

国宝のある道の駅である。

そこに展示されているのが、この”中空土偶”である。

この土偶は、今から40年ほど前に農作業をしていた主婦が畑の中から偶然見つけたのだ。

様々な調査によってこの土偶は、当時の墓にしまわれていた事が分かって来た。

この中空土偶は、およそ3200年前のものであり、高さが41.5cmと全国でも最大級の大きさ

を誇っている。

これまでに国宝土偶は、全国各地で5体が発見されているが、中でも超精密に作られているの

がこの中空土偶なのだ。

中が空洞になっており、特に目をひくのがこの足の間の穴であり、筒状に開けられているのだ

が、一体何のために開けられていたのか?

 

また、単純に見える文様も、よく見ると丸い文様の中を線がくぐって立体的な作りになってお

り、まるでメビウスの輪を思わせる。

足の文様を広げてみると、2本の線が輪の中を入ったり出たりしていて、驚くほど凝った作り

なのだ。

これだけの文様を粘土が乾かない内に造るとなるとかなりの高度な熟練した専門家でも相当大

変な作業だという。

 

さらに土偶の内部を細かく調べる為にCTスキャンにかけてみた所、その解析結果から驚くこと

が分かった。

頭の先から足までが全て空洞になっており、特に目を引いたのはその足元の筒状の穴の部分の

厚さがわずか3mm!だったのだ。

想像を超える技術力であると共に、さらに驚くことはその筒が左右の足の間も貫通していたの

だ。

データを3Dにして頭から下の片方の足を見た画像を見て欲しい。

丸で囲った部分が貫通している筒の部分だ。

造形的に見ても薄く作る事は大変なのだが、その後焼くことによって空気が膨張するために割

れたりする危険もあるのだが、それも見事に割れずに造っているその技術の高さも驚きだ。

何故高度な技術をこうまで駆使してこの穴を作らなければならなかったのだろうか?

この中空土偶に超古代の謎を解き明かす秘密がかくされているようだ。

超古代の仮面が物語るものとは?

冒頭でお話しをした謎の仮面をおって千歳市の北海道埋蔵分化センターを訪れた。

謎の仮面はここに展示されている。

この仮面は、今から2300年前の縄文時代晩期に造られたもので、北海道で発掘された唯一の土

製仮面なのだ。

これまで日本全国で発掘された土製仮面は、約100例にもおよびバラエティに飛んだ表情をし

ているものが多い。

中には、顔全体が曲がっていてさらに鼻が歪んでいるものや顔の半分が欠けていたり、現代に

も通用するような愛嬌のある仮面もある。

しかし、この土製仮面は縄文最大級の仮面であるが、非常に異質に見えるのである。

目や鼻がしっかりと作り込まれ、不気味なほどに静かな表情をしている。

また、顔の作りは非常に端正であるが、眉毛と鼻が繋がっており目の上が少し盛り上がって見

える。

人骨を研究している学者によれば、縄文人の男性を描いているようだという。

これは男性の顔を写そうとしたのか?

それともよく見ると耳のところに穴が2つ開いているのが分かる。

紐を通して仮面として顔に付けたのではないかと考えられている。

おそらく特別な儀式のときにこの仮面をつけたのではないだろうか?

2300年前の人の顔とは思えない程精巧な作りをしている。

特別な人がかぶっていたと思われるこの仮面だが、それを物語る発掘時の写真がある。

実はこの仮面が発見されたのは、お墓の中であった。

さらにそのお墓の中には、柱の跡があったことから、おそらく墓標にくくりつけられていたの

ではないか?・・・と考えられている。  以下の様なイメージだ。

さらにお墓の中からは、驚いたことに252点もの黒い石が出て来たのだ。

この様な例は、全国的に見ても非常に珍しく、まさに特別な人の墓だった事がうかがえる。

何のための石だったのか?

成分を分析した結果、驚くべき事実が分かったのだ。

黒い石の正体は黒曜石!

黒い石の正体は、なんと黒曜石だったのである。

さらに驚くべき事は、この黒曜石の出土された場所が千歳市から北東に直線距離で200kmも

離れた遠軽町白滝という場所と判明したのだ!

鉄器がなかった時代には、大変貴重な石として重宝され加工すると鋭い刃物になる。

当時の生活には無くてはならない品ものであり、産地が限られ非常に貴重な石だったのだ。

さらに驚くことは、北海道には何か所か黒曜石が取れる場所はあるが、この白滝地区はその中

でも質量とも最も良く、当時でも全道はもとより本州まで流通されていたようだ。

仮面や貴重な黒曜石と共に埋葬された人物とは、一体何者だったのであろうか?

そして彼は一体何処へ行こうとしていたのだろうか?

その答えは、海を渡ったところにあったのだ。

青森県 三内丸山遺跡

青森県 三内丸山遺跡は、5500年前から栄えた縄文時代最大の集落が見つかっている。

この三内丸山遺跡には、北海道との交流を示す例の黒曜石が見つかっており、そのすべてが

白滝からおよそ400kmを超えて運ばれてきたというのだ。

また、この遺跡には各地からその土地でしか手に入らない貴重品が続々と集まっており、秋田

産のアスファルト、岩手産の琥珀、さらには新潟県糸魚川でしか採れないヒスイまでもが運ば

れ交易圏は何と1000kmにも及んだという。

そして、この集落には200人は収容できたと思われる日本最大級の竪穴式住居が見つかってい

るが、寒冷地でありながら囲炉裏は一か所しかなかったという。

大人数を収容できたことから考えると、おそらくゲストハウスや公民館として使われて、各地

より集まった人々が宴会などに使っていたのではないだろうか?

ここは、多くの人々が行きかった縄文時代の一大拠点に他ならなかった。

交易を担った人とは?

では、当時交易を担った人々とは、どの様な人だったのだろうか?

それは、民衆から一目置かれた人だったに違いないというのだ。

つまり、交易を通して遠路はるばる貴重な品を届けてくれ、いろんな情報を知っていることか

ら簡単にいえば、尊敬されていた人たちだったと考えられるという。

そもそも、仮面を持つ墓など、それほどある訳ではないから、特別な人であったことは間違い

ないだろう。

特別な人とは、交流交易を担い、各地の情報を伝えたり物の加工技術を教える事が出来る人だ

ったのではないか?

謎の仮面男もまた、北海道から海を渡り本州を目指そうとしていたのかもしれない。

しかし、何かの事情で途中で行き倒れてしまったのかもしれない。

それにしても、この波の荒い津軽海峡をどのようにして渡って来たのであろうか?

函館市博物館には、この様な舟形土製品が出土している。

単に丸太をくりぬいた様な丸木船では、波の荒い津軽海峡では全く役に立たなかったのではな

いのだろうか?

そのために横の壁を高くして、荒い波を防いでいたのがよくわかる。

また、荒い波さえ克服できれば、潮の流れの早い津軽海峡では、上記のように潮が八の字を描

くように流れていることから、海峡の行き来は考える以上に簡単・便利にしていたものと考え

ることが出来るようだ。

波が穏やかで晴天の日を狙えば、おそらく9時間もかければ対岸までたどり着くことが出来、

文化や暮らしを支える貴重な品々を運びあう広大なネットワークが築かれてきたわけだ。

おそらく謎の仮面男もこうしたダイナミックな交易を担うとりわけ重要で特別な存在であった

のではないだろうか?

もう一つの超古代ミステリー

土偶に秘められた縄文のこころ

今回訪ねたのは、土偶の町で知られる青森県つがる市にある北小金貝塚。

先にご紹介した中空土偶が見つかったのが、まさにこの貝塚だったのである。

では、なんのためにこの様な精密で時間のかかる土偶を作ったのであろうか?

ここは、縄文の暮らしが垣間見れる貝塚を中心とした遺跡なのだが、その貝塚は何十年、

何百年と積みあがった貝塚の中からは、お墓が14人分も発見されているのだ。

その意味からいうと、全ての生き物の墓が貝塚であるともいえ、生き物の命を等しく祭るのが

貝塚だと言う事も出来る。

命を大切にする当時の人々の姿が浮かんで来るのだ。

高齢のおばあさんが生きられた理由

この墓をご覧いただきたい。

推定60歳のおばあさんのお墓だという。

当時の平均年齢が35歳ほどであったことからかなり長生きをしたようだ。

そして、下の歯が全て抜け落ちていたのだ。

60歳と高齢になるまで生きられ、さらに下の歯が無くても生きていられたという事は、誰かが

獲物をとってきて、歯がなくても食べられるようにきちんと料理をし、おばあさんが食べられ

るように柔らかくしてあげていなければ、このおばあさんは一人では生きていられなかったは

ずなのだ。

小児麻痺の女性も生きていられた!

さて、もう一つ心温まる縄文人の心をお伝えしよう。

上記の写真は、小児麻痺で骨が変形し歩けなかった少女が推定18歳まで暮らしていたという事

実を伝える墓であり、そこに感銘を受けたのだ。

今でいう所の要介護者であるこの少女が18年間もの間生きていられたという事は、60歳のおば

あさん同様に身近な誰かが事あるごとに面倒をみて食事の世話から身の回りの事まで助け合っ

ていなければ、厳しい自然の中を到底生きてはいけない境遇だったはずだ。

余談だが、これらの墓の発掘に携わった人たちもこの墓の発掘した時点で、全員がその心優し

縄文の人々を偲んで涙したのだとか。

分かる気がして、何やら熱いものがこみ上げて来てしまった。

未来再生を願う縄文の人々

縄文の人々が生命の再生を願っていた事がや死者に対する独特の想いが埋葬方法からも徐々に

分かって来た。

6000年前の人々の埋葬の仕方は、手と足を曲げて葬る屈葬という方法であった。

これは、お腹の中の赤ちゃんをイメージしさらなる再生を願っていたからだという。

命の再生を当時の人々がどれほど願っていたかを表す場所がある。

この石器は、木の実をすりつぶすために使ったものだが、これ以外の見つかった石器のどれも

全てがこの様にわざと壊されて発見されている。

当時の人々は、死者をあの世に送ってあげる時に、この世とは違った形にして送ってあげると

いう意味でこの世のものをわざと壊したのだというのだ。

つまり、この行為は命の再生を祈る事に繋がる縄文人の気持ちだったのではないか?という。

壊れているという事は、もう一度再生する(出来る)ことを意味してしたようだ。

また、縄文の人々は人間に限らず自然界の全てのものには命があると考えていた。

それを壊してあの世に送る事で命の再生に繋がると信じていたのではないか?

先に述べた中空土偶もまた、肩から下の腕が壊れているかの様に見える。

この事から、中空土偶もまた命の再生の祈りと何らかの関わりがある事が分かって来た。

命の再生を願う切実な気持ちに涙があふれる!

こちらの足形付土版をご覧いただこう。

良く見ると小さな「足跡」が付いており、隅にはそれを吊るしたと思われる穴が開いている。

これは、粘土に生身の子供の足形を押し付けて作った足形土版と言うのだが、中には反対の面

には手形が押されたものもあったようだ。

当初これらを発見した時には、子供の誕生から100日とか経ったお祝いの記念として作られた

ものなのではないかと思われていた。

しかし、中には足の大きさが18cmもの足跡もあった事、そして大人の墓からこれらが一緒に

出土している事などを考えると、亡くなった我が子を想うあまり足形や手形を粘土に移しとり

一定期間家の中にそれを吊るして祈りをささげ、親が亡くなった時に子供の形見として一緒に

葬ったのではないかと想像するようになった。

当時の親も我が子を想う気持ちは今と同じ、いやそれ以上に強く想っていたのではないか?

なんとも物悲しく心優しい縄文の人々ではないか?

発掘に携わった人々も、これが子供の形見だったと分かった瞬間、誰もが涙をポロポロと流し

声をあげて嘆く者もいたという。

いつの世も変わらぬ子を想う親の気持ち。

再び生まれ変わるようにと祈りを込めてこの形見を大切にしていたに違いないのだ。

中空土器の役目もやはり・・・

さて、3200年も前に造られたとされる中空土器もまた足形土版とほど近い場所から発見され

たと言う。

細部を調査した結果、ここにも再生を願う証があったのだ。

よく見ると、耳から顎のあたりが黒くなっている事にお気づきであろうか?

黒漆を塗っていたと考えられている。

また、ハッキリとは見えずらいかもしれないが、股のところには赤い漆が使われていたとも言

われていて、赤と黒を対比させていたと考えられている。

赤は、血の色で生命の象徴、黒は血が固まると黒くなることからおそらくはそれが死の象徴

として互いに融合していたのではないかと思われる。

要するに、生(赤)と死(黒)があって生命と考えていたという事だ。

また、文様も冒頭にもお話ししたように、輪の中に線が入ったり出たりしており、まるでメビ

ウスの輪のようだと言うのも繰り返しを表し、循環と再生を意味していたのではないか?

命の循環と再生

中空土器もなくなった子供の足形と同じように生命の再生を願っていたのではないのか?

縄文の人々は、自然が再生を繰り返すように全ての命が循環すると信じていたと思われる。

では、技術を駆使して作られた、足の間の謎の穴は一体何のためのものであったのか?

この穴こそが、中空土偶を特別なものにしているようなのだ。

そして、この中空土偶はどのようにして使っていたと思われるだろうか?

中空土偶は、その名の通り土偶の中が正に空洞で、足の間の穴も中で空洞に繋がっていた。

実は、器として使われていた土器にも、この中空土偶の顔と同じような顔のついたものが発見

されており、特別な儀式で液体を注ぐ時に使われていたと考えられている。

という事は、この中空土偶も頭部から液体を注ぐと下の穴から液体が出る事を考えると、再生

を願って行う特別な儀式を行うときに使われていたのではないか?と考える事が出来る!

つまり、この中空土偶に液体を注ぐという事は、体内に血液が注ぎわたり命が再生すると思わ

れた様な気がして、正に生命を尊ぶ縄文人の精神が現れているのではないかと思われるのだ。

中空土偶は、死者をあの世に送り、新しい生命が再生する事を願って使われた、祈りの特別な

シンボルだったのかもしれない。

ズバリ、中空土偶はただの人形ではなく、縄文の人々の心を表すもの。

つまり、全てのものに命があると信じる心。

自然が再生をくり返すように、命も循環すると信じた心。

そして、互いを助け合い、生命を大切にし、豊かな暮らしが続く様にと願う縄文の人々の心が

そこにあったというわけだ。

縄文の日本列島、人々の交流が活発に行われた時代。

土偶は結束を促し、生命の再生を願う象徴だった。

行き倒れ仮面男とは?

そんな時代に旅をした仮面男。

彼は、貴重なものを遠くまで運び大交易を支え、情報や技術までも人々に伝える特別なメッセ

ンジャーだったのかもしれない。

だからこそ、旅の途中で行き倒れたとしても仮面や貴重な品物と共に手厚く葬られたのでは

ないだろうか?

単にロマンとして深く考えもせずにいた私は、本当に恥ずかしく思わずにはいられなかった。

悲しくも切ない縄文人の純粋な心を思い知らされた気がしたのだ。

北の大地、北海道を舞台とした超古代ミステリー。

そこには、1万3000年に及んだ縄文人の精神が脈々と息づいていた。

あらゆる命が宿る、その日本人の原点ともいえる想い。

それは、はるか時空を超えて今の私たちに多くの事を語りかけてくれた。

楽しんで頂けましたらポチっと押して頂けると励みになります。

雑学・豆知識 ブログランキングへ

にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

スポンサーリンク
336×280
336×280

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
336×280