エジプトの2艘の「太陽の船」と珍敷塚古墳の壁画
「クフ王のピラミッド」で知られるギザの大ピラミッドは、4000年も前に作られた。
底辺230m、高さ140mの世界最大ピラミッドだ。
一体何のために作られたのか?・・このミステリーに取りつかれた数々の研究者たちが
謎の解明の為に過去何百年と果敢な挑戦を繰り広げて来た。
そして、日本のピラミッド及び古代エジプトの考古学者と言えば、超有名な吉村作治氏
を思い浮かべる人は多いのではないだろうか?
この早稲田大学名誉教授の吉村作治氏の発見した「第2の太陽の船」が今回ご案内する
日本とエジプトをつなぐ大きな手掛かりとなったことだ。
最初の「太陽の船」が発見されたのは、今から約50年以上も前にクフ王の巨大ピラミッド
のすぐ横で発見された。
全長40mにも及ぶこの「太陽の船」は、当初バラバラの状態で見つかったのだが、10年
以上の歳月をかけ慎重に復元されたのだ。
そしてそれから30年以上たって「第2の太陽の船」が吉村作治氏によって発見されたのだ。
地中に埋もれたその船の発掘は、困難を極めたのだが、2011年から発掘作業がスタートし
今でも復元作業がが続いている。
この「第2の太陽の船」の発掘により、吉村氏は大胆な推理を展開したのだ。
2艘の「太陽の船」は、ファラオの魂が昼の国から夜の国へと移動する手段であり、それぞれ
行きと帰りの船2艘が用意されていたというのだ。
エジプトと日本を結ぶ「太陽の船」
魂の移動装置として推理した「太陽の船」について吉村氏は、ピラミッドが何故作られたのか
を解き明かす重要なカギになるのと同時に、この2艘の「太陽の船」の発掘は、私たち日本人
にとっても、大変重要な意味を持っていると言うのだ。
何故なら、日本で発掘された古墳の壁画にもこの「太陽の船」とそっくりの図柄が見つかって
いるからであり、しかもいくつも見つかっているのだそうだ。
発見された珍敷塚古墳の壁画 レプリカ 再現装飾図
その代表が福岡県うきは市吉井町で発見された珍敷塚古墳の壁画(上図参照)なのである。
ここに描かれた船の図柄を見るとはっきりと日輪(左上隅)が描かれている。
まるでこの船は、あたかも太陽を運ぶために造られた船であるかのようなのだ。
そうであるならば、「太陽の船」は、古代の日本にも存在したのではないだろうか?
数千キロも離れたエジプトと日本。
遠く離れたそれぞれの国の遺跡から掘り起こされた壁画が少々似通っているからと
場所も文化も年代も異なる二つの国を簡単に結びつけるには、かなり大胆な発想が必要
なのかもしれないのだが、実はこの2国間を結びつけているのは、「太陽の船」だけで
はないのだと言うのだ。
奇妙な共通点
古代エジプト文明と日本の神道には、いくつか奇妙な共通点があるのだと言う。
登場する人物や神話のストーリーなどまるで同じ作者が作り上げたのではないか?
と疑いたくなるほどに両者は似通っている点が多い。
何故日本の神道と古代エジプトの神々との間に不思議ともいえる共通点があるのか?
それは、古代エジプト文明よりも、さらにはるか過去にさかのぼる膨大な謎の数々
だったのだ。
失われた超古代文明のアトランティス大陸に秘められた物語が、ピラミッドという
タイムマシンを通じて日本の神々の世界に映し出されているようだ。
果たして古代エジプトと日本古来の神道とは、いったいどのような数奇な運命で結び
付けられているのだろうか?
そこには、一羽の鳥が関係しているのではないか?・・・と言うヒントが見えて来た
のである。
続きは次回に譲る事になるが、古代文明における不思議な共通点は私たちに憧れと
ロマンを届けてくれると同時に、この謎めいたミステリーを解かざるを得ない衝動に
駆り立てて行く事は間違いないだろう。
今回は「太陽の船」にまつわる古代エジプトと日本の神道についてお話を致しました。
最後までお読み下さり誠にありがとうございました。
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コメント
新王国時代の王の名前と、神話にある日本の神の名前は、関係性が親密ですよね。
ま、古代エジプトは日本人の原点でしょう。