皆さんは魂に重さがあると思いますか?
正月早々何を言ってやがる!・・・なんて言わずに読んで頂きたい。
我々日本人は、正月だからこそ普段は行かない神社仏閣に行って、いろいろと無理難題を神様、仏様に祈る習慣がある。
まんざら正月に関係のない話ではないから、ここはひとつ最後までお読み頂きたい。
魂の重さは21グラム?
引用:http://eiga.com/movie/1002/
2003年公開されたショーン・ペンとナオミ・ワッツらの出演した映画「21グラム」で一時期物議を醸しだした事があった。
それは、今をさかのぼる事約100年以上前、アメリカ・マサチューセッツ州の医師、ダンカン・マクドゥーガル博士が、ある実験を行った。
それは、入院中の末期結核患者が横たわるベッドの重さを精密な測定器で計量し、死の前後で体重にどの様に変化しているかをマジに調べたのだった。
その記録によれば、マクドゥーガル博士は計6人の末期患者の計量をし、死の瞬間に立ち会ったのだという。
勿論、その目的は、死後に肉体を離れていくと考えられていた「魂の重さ」を測定する事にあった。
遺体は亡くなった直後から徐々に乾燥が始まって行くので、当然その分わずかながらも軽くなっていくことになる。
そこで、マクドゥーガル博士は死後に失われるであろう体液やガスの様な気体の重さも考慮して緻密に計算をした。(どの様な緻密な計算かは定かではないが・・・)
そして、人間の「魂の重さ」は4分の3オンス、私たちに馴染みのグラムに換算して21グラムになるとの結論に至った。
(どの様なタイプの人、つまり身長の大小、体重の重い、軽いの差はないのか?)
1907年、マウドゥーガル博士はこの結果を学術誌に発表したのだが、それをニューヨークタイムズが大々的に報じたために広く多くの人に知られる事となった。
しかし、学者や研究機関のようなアカデミズムの世界では強く疑問視される様になった。
死の瞬間「星間エーテル」にも似た光が・・・
「人の魂の抜け出る瞬間」
引用:http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201607_post_10366.html?_p=2
博士はしばらくは沈黙せざるをえなかったのだが、その4年後の1911年に再びニューヨークタイムズの一面トップを賑やかすこととになった。
新たに、患者の死の瞬間に「魂の写真」を撮影している事を発表したのだった。
マクドゥ―ガル博士によれば、十数人の末期患者の死の瞬間に立ち会い写真を撮影したのだが、死の瞬間、人間の頭部からは「星間エーテル」にも似た光が発生して周りを取り巻いた後、この光は肉体から離脱していくのだが、それ自体が「魂」であり、その離脱した「魂」の重さこそが21グラムだったというのだ。
(注:「星間エーテル」(interstellar ether)とは、中世の物理学者の間で通説となっていた
概念。天界を構成する物質のことだが、現在では科学的には否定されている。)
しかし、この説明では、全く科学的だとは認識されずオカルト的な話としてまたまたアカデミズムの世界では受け入れがたかったのではないかと思われるが、残念なことにこの発表から9年後の1920年に54歳という若さでこの世を去ってしまった為、結論は出ずじまいだった。
ただ、このマクドゥーガル博士の一連の実験と研究成果、そして「魂の重さは21グラム」理論は、以降の脳科学や実験心理学などの学問以外で文学の世界等にも大きな影響力を与え続けているようだ。
100年以上昔の研究者が追い求めた「魂の重さ」については現代科学では、あまり肯定的には捉えられていないようだが、最先端の科学技術をもってしても宇宙についてはほんの4%ほどしか解明されてはいない。
つまりその最先端の現代技術をもってしても96%と、ほとんどは手付かず状態で解明されていない事を考えれば、マクドゥ―ガル博士の研究についても、またその主張についてもあながち信ぴょう性がないと一笑してしまう訳には決して言い切れないのではないだろうか?
死後の世界については、様々な話しが存在しているが、臨死体験をした人以外には、経験できる世界ではない。
しかし、幽体離脱のような体験は、少なくとも経験された事のある方も多いのではないだろうか?
物体としての肉体は、死を経て土に返ってしまうが「魂」についてはその後も永遠にさまよい続けている様な気がして私はならないのだが、読者の皆さんのご意見ははたしていかがだろうか?
新年早々、この記事を投稿しながら自分の生末を改めて考えさせられた。
この機会に、そんなひと時の時間を持つことも必要な気がしている。
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