マヤ文明・ピラミッドと遺跡にまつわる滅亡と生贄の謎

NHK BS ザ・プレミアム”知られざる古代文明 マヤ・密林に隠されたピラミッドと謎の石舞台”が2016年12月10日(土) 午後9時00分 放送された。

内容を参考に古代マヤ文明の盛衰とピラミッドや遺跡の発掘、そして何故滅亡したのか?
また、何故生贄の必要があったのか?等その謎を追ってみたい。

マヤ文明は統一王国を作らなかった

南米大陸でアンデス文明と共に有名なのがマヤ文明である。


引用:NHK BS ザ・プレミアム 2016年12月10日(土)

ザ・プレミアム 知られざる古代文明▽マヤ・密林に隠されたピラミッドと謎の石舞台

グアテマラ共和国の首都グアテマラ市の北東約300kmの北部低地にあるマヤ文明の代表的遺跡であるティカル遺跡を訪れた。

そこでは、数十年の長きに渡りマヤ文明の発掘に携わっている茨城大学 青山和夫教授を訪ねた。

青山教授は、セイバル遺跡が紀元前1000年頃であったことを突き止めた方であり、今までの定説よりも200年古いことを発見したのだ。

マヤ文明は17世紀にスペイン人によって滅ぼされるまで続いたが、マヤ文明の大きな特徴は、王を抱く多くの都市がネットワークの中で共存したことであり、統一国家を作らなかった。

そして、ティカルはその都市の中でも最大級の都市であった。

これは、ピラミッドで当時盛んに作られたという。

この1号神殿は高さが47mあり、マヤ文明が鉄器を持たなかったことから石器のみで造った事になる。

ピラミッドは山の象徴として建てられており、人は山岳信仰を持ち高いもの、天に近いものに憧れを抱いていた。

ゆえにエジプトにもマヤにもひいては日本にもピラミッドに近いものがあり、人々は高いものを造ろうとするとこの様なピラミッド状にならざるを得ないのだという。

ちなみに、日本のピラミッドについては、

日本の古代史とエジプト文明の意外な関係、日本にもピラミッドがあった!?-Part4

をご覧頂きたい。

極彩色の都市

マヤ文明はアンデス文明と同様に一次文明である。

一次文明とは、独自に生まれた文明のことであり、エジプト文明や黄河文明などを指す。

当時は、今とは全く異なっておりジャングルのように樹木は生えておらず、漆喰の上に赤や黄色、緑といった極採食が塗られていた。

今でも神殿の階段にその名残が見られ、白と黒のまだらになっている部分が当時漆喰だったという。

その上に極彩色が塗られていたのだ。

当時のイメージは、この様だったのではないかと考えられている。

緑の中に浮かぶ極彩色の都市だった。

大河のほとりにない文明

ティカルには、他では見られない特色がある。

それは、他の一時文明が人間の生活の必需品としての水を求めて全て大河のほとりにあったのに対し、ティカルの近くには大河が存在しなかった。

当時ティカルの人口は、6万人だったと考えられるのだが、その人口を支えた水はすべて雨水だったと言うのだ。

ところが5月~10月は雨期になるのだが、降った雨はほとんどが地中に吸い込まれてしまう。

何故ならティカルの大地は、石灰岩で覆われていていたからだ。

石灰岩は、水を通しやすい性質を持っている為なのだが、ここで登場するのが漆喰ということになる。

この石灰岩から漆喰をつくり、塗り固めると水を通さなくなる。

これが、建物を漆喰で覆った理由なのだった。

また、当時は町中の地面も漆喰で覆われており、そのお陰で雨水は傾斜を流れて貯水池にため込まれた。

貯水池の中も当然すべて漆喰で覆われており、そのお陰でティカルは大河がなくても繁栄することができたのだ。

しかし、少し離れたところには大きな湖もあったのだが、何故そのような場所を生活の場として考えなかったのであろうか?

それは、ティカルの場所を考えると納得する。

ティカルがある場所は、丘陵地であり冒頭でもお話しした通り人々には山岳信仰があって、出来るだけ高いところに都市を造るために湖のある低地をさけてわざわざ高いところに都市を建設したと考えられている。

建設の大変さよりも、信仰心がそれだけ強かったという事になるのだろうか?

正確な方位

マヤ文明の都市は、極めて厳密に東西南北を意識して作られていた。

上記の画像をご覧頂きたいのだが、これは冬至になるとこの様に神殿として造られたピラミッドの真上に太陽が昇るように設計されていた。

この四角い建物も神殿として造られたのだが、この神殿の中央部分から秋分と春分に太陽が昇り、左からは夏至に、また右から冬至に太陽が昇るようにと正確に1年の周期をおさえていたという。

つまりこの様なイメージになる。

現人神を演じた王

マヤの人々は、太陽の光にきわめて敏感だった。

これは、王という存在の人が1年の周期を日の昇る位置から計算して365日を割り出し、種まきの時期や収穫の時期を計算する事は大変重要なことであった。

それを知る王こそが神聖王というか現人神として民衆から崇められる事にもなり、超自然的な力を持っている事こそが彼ら王としては政治的な力になったと考えられる。

それが王の権力を維持するためにも重要だったのだ。

ティカルの遺跡には、東西の直線状に2つの神殿があり、東のピラミッドの頂点には王が祭事を執り行う神殿があった。

民衆のいる広場から見上げると、ちょうど王のいる神殿の後ろから太陽が昇って来る仕掛けになっていたのだ。

こうして、王は民衆から崇められ尊敬される事を考えていたようだ。

ライダー技術

   

まずは左の画像を見て欲しい。

言わずと知れた富士山とそのすそ野に広がる樹海を写した写真だ。

次に右の画像を見てほしい。

こちらが、ライダー技術を使った画像である。

まるで地表を丸裸にしたように、左の写真では全く分からなかった地表の凹凸がくっきりと写しだされているのが分かる。

溶岩の流れた後も一目瞭然だ。

この技術を使って、マヤ文明の遺跡の発掘に利用しようというのだ。

このターゲットに選んだのがセイバル遺跡を中心とした約400km2の一帯だ。

青山教授ら研究チームは、ティカルから南西に90kmのところにあるセイバルとその周辺を調査しようという。

青山教授曰く「もし、普通に400km2を測量しようとすると約10年~100年はかかってしまう。 それをライダー技術ではたった5日間で測量してしまう」

それより、セイバルという都市とその周辺に何があったかがあの凹凸で分かる事が凄いというのだ。

調査は、小型飛行機を使い2015年3月、雨の少ない時期にアメリカから専門チームを招き行われた。

上記の画像のように、飛行機から地表に向かってレーダーを照射し、その跳ね返りの時間差で起伏を明らかにすることが出来る。

これで地表の3D地図が出来るという事だ。

遺跡の数々

結果は想像以上であり、多くの遺跡の場所が克明に映し出されたデータの数々であった。

人口の構造物をプロットすると、まさに画面を埋め尽くすかのような構造物が現れた。

早速、研究チームは調査にむかった。

高さ10mのピラミッドを最初の調査ポイントに選んだ。

道路からジャングルを約500m進んだところにそれはあった。

一見どこにそれがあるのかサッパリ分からないが、ライダー技術でCGを作成するとこの様に四角形の建物があるはずだという。

早速頂上に登ってピラミッドであることを確認すると、人工の石の組み合わせが発見された。

いきなりの大発見だ。

決め手は大きな土器があること。

大きな土器は祭りごとに使うからだ。

この写真のようにその土器は見つかった。

その形から研究者は香炉ではないかと推測した。

香炉は、煙をたくもので儀式には欠かせないものだった。

これもライダー技術がなければ、この様な発見は考えられなかっただろう。

さらに翌日はピラミッドの右方向にある一辺が50mの四角形の建物を追った。

マヤでは重要な建物を造る時にまず平坦な基壇を造り、そのまま使うこともあれば、その上に特別な建物を造る場合もあったという。

四角いいデータは、基壇であることは間違いない。

今までのままでは、ジャングルに覆われて全く区別がつかなかったものがライダー技術で見ると上記のようにクッキリと四角い基壇であることが分かる。

今回は、基壇の上には建物はないようだが、平坦な石舞台のようだ。

この調査ではハッキリしたことは分からなかったが、今後の調査でそれもハッキリしてくるだろうと研究者は語っていた。

ピラミッドと共に基壇も見つかったことで今後の調査に対する期待も一気に膨れ上がったようだ。

今回のライダー調査で明らかになったもう一つの重要な点は、グアテマラで初めて遺跡全体の広がりが確認できたことだ。

セイバル遺跡を中心としてその周辺に1500もの遺跡の存在が確認された。

その多くは、大きさからみて農民の住居ではないかと考えられる。

王や貴族が住む都を中心として多くの住居が広がっているというマヤの都市構造がクッキリと浮かびあがった。

その中には、ピラミッドらしき構造物も多く見つかった。

高さ5mほどのものだけでも30以上あり、いずれもピラミッドの可能性が高い。

新しい発見を次々ともたらしてくれた、最先端の技術。

密林に隠された謎の文明、マヤ。

その厚いベールが文字通り透けて見えて来たのだ。

もう一つの研究・マヤ文字の解読

未知の遺跡の研究以外にもう一つのマヤ研究の大きなターゲットがある。

マヤ文字の研究だ。  まだ、70%しか解読されていない。

セイバル遺跡の石碑中央に刻まれているのは、9世紀に活躍した王の姿だ。

そして、その左側に刻まれているのがマヤ文字だ。

赤枠で囲まれている中の四角い絵の様に見えるのが一つの文字である。

一つの絵でセイバル、ティカルと読み取れる。

ここには、「4つの王様が集まって儀式を行った」と刻まれている。

今までに見つかっているマヤ文字は約4万~5万。

しかし、その中には同じものか判断できず、総数はいまだに解明されていないという。

研究を難しくしている理由

さらに、マヤ文字研究を難しくしている事情がある。

それは、マヤ文字で書かれた書物は、過去に焼かれておりほとんど残っていない為、石碑から解読するしか方法がないというのだ。

だが、長い年月で石碑の表面が削られ判読が難しくなっている。

はたして解明が出来るのだろうか?

しかし、先の青山教授によれば、マヤ文字は日本人に非常になじみ深いものだという。

それは、漢字のように偏と旁、冠がある事だ。

要するに部首のようなものがあり、それらを組み合わせることで文字が成り立っている。

つまり、独立したパーツの組み合わせで文字が成り立っているのだ。

例えば、これは”偏”にあたる。

しかも、その共通点は偏だけではない。

日本語には、漢字があってかな文字がる。

漢字のように意味を表す”表意文字”とかなのように音を表す”表音文字”があり、日本語と同じなのだ。

上の写真を見て頂こう。

写真のように、文字そのものが意味を表す表意文字(左)と音を表す表音文字(右)だ。

逆に言うと、私たちの名前をマヤ文字で書けてしまうという事だ。

要するに、日本的な文字の感覚は、実はマヤ文字にも通ずるところがあるようだ。

同じアジア大陸を起源とする人々が作っている事に他ならないという事なのだ。

私たち日本人とマヤの人々とは意外に近い関係だったという事だ。

親戚の様なマヤの人々

今からおよそ5万年前にアフリカ大陸で誕生した人間が、約3万年前にアジアにたどり着いた。

その後日本には1万6500年前にたどり着き彼らは日本に定着した。

一方、アジアからさらに移動をした人々がいた。

シベリアを経てアラスカと経由し、南北アメリカ大陸を南下していった。

マヤ文明を築いた人々はその子孫になたるのだ。

同じようにまた、南アメリカのアンデス文明も南下を続けた子孫が作り上げた。

つまり、彼らは地球の正反対に住む人たちでありながら、私たちとは東アジアで分かれた人たちであったという事になる。

正に私たちにとっては、親戚の様な存在のマヤ人なのである。

マヤ文明の滅亡の謎

謎多きマヤ文明。

その最大の謎のひとつが文明の衰退のプロセスだ。

滅亡よりはるか昔、9世紀ころからいくつもの都市が衰退を始めた。

前出のセイバル遺跡でも衰退が謎に包まれている。

マヤ文明最古の都市、せいばるが衰退し滅亡したのは10世紀の事。

正確には、滅亡というより放棄したと言った方が良いのかもしれない。

遺跡の発掘をしている調査員の話によれば、セイバルは衰退している時期でさえ、食料は豊富だったという。

遺跡から出土した生ごみの炭化物を詳しく調べてみると、ここに住んでいた人々の食生活は極めて豊富だったようだ。

セイバルが放棄された時期でさえ多くのゴミが見つかっているというのだ。

魚、貝など川のめぐみを受けていた。

マヤ文明の衰退の原因は、様々に推測されてきた。

1.人口が過剰になったとされる説。

都市人口の膨張は多くのふたんになる。

2.決定的だったのは、環境の変化

環境の変化に伴い十分な食料がまかなえなくなったのではないか?

3.そして、やはり戦争が原因だったと考える学者もいる。

政治的問題がこじれ戦争が激しくなり衰退したと考えられる説

どれが、決定的な原因だったのか? 議論は今も続いている。

環境の変化が要因か?

最近の調査から、マヤ文明が栄えた地域には再三にわたり環境変動に襲われたのではないかと推測されている。

その根拠の一つがジャングルにぽっかりとあいた巨大な泉である。

これは、セノーテと呼ばれ、石灰岩の多い地域に多く見つかっている。

乾季でも水が枯れないので貴重な水資源になっているほか信仰の対象でもあった。

生贄の事実

そのセノーテに入る潜水調査が今まで10年以上に渡り行われてきた。

潜水した調査員がその底から見つけたものは?・・・沢山の頭蓋骨であった!

雨不足に苦しむ人々は、セノーテに住む神々に生贄としてささげたのではないかと考えられている。

引き上げた頭蓋骨をよく調べてみると、切り落としたような鋭い傷や皮をはいだと思われる跡などが残っている。

生贄は雨と深い関係があり、マヤの人々は度々干ばつや飢饉に苦しえられて来たが、雨は人の力ではどうにもならなかった。

その為、天候不良や水不足に悩む度に雨の神様に生贄を捧げたのだった。

雨量の多さが滅亡の原因か?

一方、日本の研究からは雨が多すぎてもマヤの人々の生活を脅かした可能性が浮かびあがっている。

セイバル遺跡近くの堆積物を調べて雨が降った時代にどの様な植物が増えたのか花粉の量を調べた。

調べたのは、トウモロコシの花粉と熱帯雨林に多いクワ科の樹木の花粉だ。

グラフにしてみると、両者には歴然とした差が見つかった。

雨の多い時期にクワ科の植物は、最大20倍にも増えたのに対しトウモロコシは逆にやや減っているように見える。

また、断定はできないが、雨が増えて勢力が増したのは、熱帯雨林の樹木で、たいせつな食料のトウモロコシは、その競争に負けたという可能性が浮かび上がって来た。

干ばつによってマヤ文明、セイバル遺跡が衰退していったのではなく、逆に湿潤になり熱帯雨林が増える事でトウモロコシの農耕が出来なくなり、それが原因で人が住めなくなって遺跡を放棄せざるを得なくなったとも考えることが出来るというのだ。

雨が増えすぎてもリスクになる。

マヤ文明が部妙な環境のバランスの上に成り立っていたことをうかがわせる。

はたして都市衰退の要因は何か?

それを明らかにしようとする為に研究者たちは、気候変動の歴史を細かく再現しようとするプロジェクトを始めている。

その現場はヤイバル遺跡からほど近い場所にある湖だという。

湖の湖底から引き揚げられたもの、それは湖の底に積もった堆積物を採取しているのだ。

この堆積物を調べる事で当時の環境変動が読み取れるのだという。

地中深く掘削するため、一カ月と大掛かりな作業が続いた。

より深く掘ればそれだけ遠い過去にさかのぼる事が出来る。

4mもの長いパイプが引き上げられた。

詳細に分析していけば、気候変動や立地環境などが復元できるという。

それらとマヤ文明の栄えた時代や滅んだ時代がなどの何らかの社会変動があったものと環境の変動とを実証的に比べてみようとしている。

本当に干ばつが起きたのか自然災害が起きたのだろうか?

引き上げられたパイプを縦に割ってみると見事に縞模様が現れた。

一年一年の記録がその縞模様の中に刻まれているはずだ。

最終的な目標は、今から3000年前にさかのぼり、マヤ文明の歴史を全てカバーする事だ。

その時初めてマヤ文明の衰退をもたらした環境変動が科学的に明らかになる。

マヤ文明の滅亡

マヤ文明の滅亡は17世紀末、スペイン人がアメリカ大陸に到達して200年経ってからだった。

その滅亡の実態もけんきゅうが積み重なるにつれ、当初考えられて来たものから大きく変わってきている。

マヤ文明の滅亡の一番の原因は、なんと新しい病気がもたらされたことだった。

例えばこれまでなかった天然痘やチフス、あるいは色々なインフルエンザなどもそうだ。

彼らはそれに対して全く免疫がなかった為に、ちょっと入ってくるだけで大流行してしまった。

一般には、スペイン人が大砲を持ってとか鉄砲をもってとか、はたまた鉄器を持っていて優秀だったからマヤ人に勝ったと言われているが、実際には戦わずして病死した方がよほど多かったので滅びたと考えられている。

一時期マヤの人口が9割近く減ったと言われているが、そのころようやく免疫力が付いてきて持ち直したと言われている。

今、マヤ人がどれくらい居ると思われるだろうか?

一説には800K万人いるとも言われている。

確かに16世紀にスペイン人が軍事的な征服をして、王様とか貴族は没落していったが、一般大衆と農民たちは生き残った。

現在のグアテマラ全土の人口は、およ1400万人。

マヤの血を引く人が過半数をしめている。

人間だけに注目すれば、マヤは今も生きている文明なのだともいえる。

楽しんで頂けましたらポチっと押して頂けると励みになります。

雑学・豆知識 ブログランキングへ

にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

スポンサーリンク
336×280
336×280

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
336×280